櫻田武です。
2020年の終わりに、下記のようなコラムを書いていました。
でも、教育委員会から現場に戻ってきて4年目、どうも、状況は違ってきているような気がします。
結論から言いますと、「子どもの耐性が弱くなっている」ことも原因ではないか、ということです。
今、「子ども主体」「子ども真ん中」が叫ばれているわけですが、子どもが一人で生きていくためには、最低限の耐性は身に付けなくてはいけません。
その体制を身に付けるのに最適なのは、やはり「多様な子どもたちが在籍して顔を合わせて学ぶ学校」だと思うのです。
ここから、2020年に出したコラムです。
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不登校の子供たちも、「特別な支援が必要」な子供たちだと考えています。
さらに、不登校児童生徒の中には、発達障害の診断がある子供たちもいます。
平成30年度の文科省の調査では、不登校の原因の第1位は「不安」でした。
ASDは「不安の障害」とも言われていますので、まさに、不登校予備軍とも言えるということを前々から教頭会や校長会、学校訪問等で繰り返し話してきました。
そんなところ信州大学医学部子どものこころの発達医学教室教授が、次のようなお話をされていましたので、シェアします。
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学校への登校しぶりは、子供本人と教員や保護者の視点にズレがある。
登校しぶりはトラブルの始まりではなく限界まで足している可能性があり、「楽観視は禁物だ」。
発達障害の人の成人期までの育ち方は4タイプに分けられる。
発達特性に応じて必要な課題を与えられてきた「特性特異的教育タイプ」
発達特性の理解が全く得られない環境で育った「放任タイプ」
発達特性を周囲が否定して苦手克服のために過重な課題に取り組んできた「過剰訓練タイプ」
支援者が何の矜持もせず全て本人の意思に任せてきた「自主性過尊重タイプ」
生育環境は極めて重要。
中でも重要な環境が学校。
北欧の論文では、自閉スペクトラム症(ASD)の子供と健常児それぞれに見られる登校拒否行動を比較したところ、出現割合はASDの小学生で約5倍、中学生では約7倍高いことがわかっている。
登校拒否行動の1つである「登校しぶり」は、大人の視点ではトラブルの起点に過ぎず、子供の努力次第で行けるはずと考えがちだが、子供本人としてはトラブルの最終段階で限界に達しており、自分が学校に通えるよう配慮してほしい表れだと言う。
教員の「学校に来てしまえば楽しそう」との見方には警笛を鳴らしたい。
「学校が本当に楽しければ『帰宅しぶり』がある」。
学校側が状況を変える気配がないのに、登校を促すのは子供の恐怖が増す。
子供自身による選択肢がほとんどない現状から、本人が登校しやすくなるような工夫やスケジュールを提示すると選択の自由が保障できる。
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教育相談で、不登校児童に対する学校側の取組を聞くことも多いのですが、(この先生は、本当に学校に来て欲しいのだろうか。もっと他にできることはないのだろうか。)と思ってしまうことも多々です。
私も登校しぶりのある子供や不登校の子供を担任した経験はありますが、毎日迎えに行ったり放課後に顔を出しに行ったりしていました。
私はやり過ぎだったのでしょうか。
その先生方には、愛がないなあと思ってしまうのは私だけなのでしょうか。。。
今日もありがとうございました。
それでは、また。
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発達障害があるないに関わらず、ストレスやバリアは、人が社会の中で生きていく中で0になることは普通あり得ません。
「子どもが目的をもって学校に行って欲しいんです。だから、目的をもてない時には学校を休ませようと思います。」
「子どもの世界を大事にして欲しいんです。だから、やりたくないことは無理にさせなくてもいいです。」
「間違った時に×をつけられると泣くので、×をつけないでください。」etc......
子ども主体、子ども真ん中社会、指導の個別化、学習の個性化.....
特別支援教育担当の指導主事として、先頭に立って子ども主体を進めてきたわたくしですが、あまりにも言葉が切り取られて一人歩きしている感じがしている気がするこの頃です。
それでは、また。
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○櫻田の推し本
・藪下 遊 他1名
「叱らない」が子どもを苦しめる (ちくまプリマー新書 449)
・上條 大志
教室の罠をとりのぞけ! どの子もつまずかせないユニバーサルデザイン
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