メンバーの方からご質問を頂きました。
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国語の授業のyoutubeを載せて頂きありがとうございました。
勉強させて頂きました。
質問があるのですが、国語科の授業だと算数のようにめあてとまとめが整合する授業を展開することを難しく感じています。
国語科では気持ちを読み取ったり、実際に書いてみたりするなどその作業をすることに意味があるような気がするのですが、どのようにすればよいでしょうか。
ぜひ教えて頂きたいなと思います。
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ご質問ありがとうございます。
確かに国語と算数の授業づくりは違っているように見えると思います。
でも、めあてとまとめを整合させるという点では、私はどの教科でもほぼ同じだと考えています。
算数は、1単位時間の中で、方法が”分かって”、分かったその方法で正確に”できる”ことまでめあてにすることが多いですよね。
だから、私の授業では、めあてを「分かる〜できる」の2段階にしていました。(2ステップめあて)
でも、国語の場合は、1単位時間で”分かって”、”できる”までは、難しいと思います。
例えば、説明部的文章の学習において、”分かる”時間のめあての例は、「文章を要約する方法は?」となり、まとめの例は、「文章を要約する方法は、形式段落の中心文をつなげるとよい。」となりますが、その同じ時間の中で、「文章を要約することができる」というめあての達成までには時間が足りないと思われます。
要約方法が”分かる”時間と、要約が”できる”時間が分かれるのが自然だと思います。
>>「国語科では気持ちを読み取ったり、実際に書いてみたりするなどその作業をすることに意味があるような気がするのですが、どのようにすればよいでしょうか。」
「気持ちを読み取る」にも、「正しい読み取り方が分かる」ことが必要ですし、その正しい方法に従って「正しく読み取ることができる」ことも必要です。
「実際に書いてみる」にも、「正しい書き方が分かる」ことが必要ですし、その正しい方法に従って「実際に書くことができる」ことも必要です。
私が、「めあてには”分かるめあて”と”できるめあて”がある」と話しているのは、そういうわけです。
それぞれのめあてとまとめは、国語も算数と同じように整合しなければなりません。
ただし、ここが算数と違うところですが、国語の場合、作者の意図によって自由に表現できることがあります。(正解がないと言いますか。。。)
それは、”できる”めあての場合が多いです。
その場合は、「まとめ」るのではなく、できたかどうか”振り返り”だけでよいと考えています。
ちなみに、国語の”分かる”めあての作り方に、参考になるのが、こちらの本です。
・国語授業を変える「用語」 (hito*yume book)ー白石範孝 他
・国語授業を変える「原理・原則」〈1〉説明文編 (hito*yume book)ー白石範孝 他
・国語授業を変える「原理・原則」〈2〉物語・詩編 (hito*yume book)ー白石範孝 他
ぜひ、読んでみてください。
それでは、またのご質問をお待ちしております。
今日もありがとうございました。
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