櫻田武です。
生きづらさをもっている人ほど、自分自身に潔癖性を求めます。
「怒りや嫉妬などの感情を持ってはいけない」というべき論を自分自身に振りかざすのです。
たとえば、結婚したいのに結婚していない女性が、既婚の幸せそうな女性を見たときには、「嫉妬」の感情が出てくる場合があります。
そんなとき、生きづらい人ほど、「自分はなんて性格が悪いんだろう」と自分自身を罰するわけです。
でも、考えてみてください。
怒りや嫉妬、罪悪感、恥などのネガティブな感情って、誰もが持ち合わせていますよね。
たしかに、それらを日常的に感じるなら、その感情の根本原因を解決した方がいいでしょう。
そのような感情が、たまに自分の心を乱すくらいであれば、何も問題がありません。
そして、今の時代はどうか分かりませんが、少なくとも我々人間(ホモサピエンス)の数百万年間の歴史においては、「それらのネガティブな感情がある方が、生存するにあたってプラスに働いていた」と考えるのが自然です。
逆にいうと、ネガティブ感情がない人間は、ことごとく絶滅してきたのでしょう。
だから、私はこう思っています。
ネガティブな感情をもつことって、人間として、とても自然なことだと。
逆に、ネガティブな感情をもたない人は、どこかネジが外れているとも言えるでしょう(笑)。
キリスト教における、「七つの大罪」である、「暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬」は有名ですよね。
私は、これらの感情をもつことも、人間としてとても自然なことだと思っています。
その「七つの大罪」の感情をもったとしても、自罰的になる必要はない、というのが私の意見です。
なぜなら、それらの感情をもつことで、人間は絶滅を逃れてきたわけで、その意味では「尊い感情」と言えるからです。
今日もありがとうございました。
それでは、また。
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