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【秋田大学教職大学院講義感想4】#秋田大学教職大学院講義感想 #あきたUD #授業のユニバーサルデザイン #日本授業UD学会あきた支部 #特別支援教育 #SDGs

執筆者の写真: Takeshi SakuradaTakeshi Sakurada

櫻田武です。

先日の秋田大学教職大学院での講義、「授業のユニバーサルデザインWith Zoom」での生徒さんたちの感想と私のコメント4です。

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授業のユニバーサルデザインは,目的ではなく手段だと思う。

その点で考えると,本時のねらいをすりあわせることもだが,本時のねらい(教科のねらい)を達成するためにどうすればよいか手段を考えるという方が,授業を組み立てやすいと考えた。

また,見通しをもつ,友達の力を借りるなどは,主体的?対話的な学びそのものだと感じた。

単元計画という視点では,カリキュラム・マネジメントともつながっている。

今日の講義を聞き,従業のUDは特別なことではないと感じた。自分がやってきたことも,授業のUDだったと気付いたこともある。

これからの学校は,様々な児童やニーズが予想される。

今日学んだことをもとに,一人一人が満足感を味わえるような授業づくり,学校作りを目指したい。

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今日はありがとうございました。


「自分がやってきたことがUDだったと気付いたこともある」というお話、同じことをするにも今後が本当のUDの手立てとなります。


バーンズ亀山先生もおっしゃってましたが、「”UDの手立て”として行っていないものは、たとえ同じ手立てでもUDではない」んですね。


UDとは、あらかじめ分かっている子供たちのバリアを未然に防ぐための手立てです。


偶然ではないということです。

今日お話ししたことは、「障害のある子ども」に関わるお話しでしたが、そのほかにも支援が必要な子供はいますので、この後もぜひ一人一人が満足感を味わえるような授業づくり、学校づくりを目指してほしいと思います。

そして、わたくしにもいろいろと教えていただければ幸いです。

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藤井先生、櫻田先生、本日の講義ありがとうございました。

授業のユニバーサルデザインということで、最初の部分でLD、ADHD、ASDについても触れられていたが、今回の講義はインクルーシブ教育だけに関係することではなく、むしろすべての授業について(障害が見られない生徒だけの授業のあり方に関しても)共通して考えなければならない内容だと感じた。

そのような視点で改めて資料を拝見しても、大変参考になる話が多かった。

また、UDの授業は一回性、一期一会性をもつというもの印象的な言葉だった。

自分の勤務校でも何らかの障害を持っているのではないかと疑われる、もしくは明らかに障害を持つ生徒が見られる。

その生徒たちに、その都度、生徒に合わせてベストな授業づくりを試みることを繰り返してくことは大変かもしれないが、少しでもできることを試みてみたいと考えた。

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今日はありがとうございました。

今日のわたくしのお話は、1日で分かってできたことではなく、先生がおっしゃった「少しでもできることを試みたい」ということを積み重ねた結果です。

先生のクラスの(学校の)UDは、先生にしかできないと思いますので、少しずつ楽しみながら行っていただければ幸いです。

やってみたら分かると思いますが、この「試みを続ける」という取り組みは、とてもおもしろいことです。

私もおもしろかったのが忘れられず、いまだに続けています。

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UDの具体的な事例を聞きたいと思っており、今日はハウツーも教えていただいたのですが、それ以上に、どう考えて、より分かる支援を目指していくのかという、いわば、DoよりもBeだというところに、今日の学びの真髄があったように思いました。

一方で、「○○のひみつ」のような比喩的な表現や教室環境の掲示装飾などは、学級の多くの子どもたちにとって、楽しい良いものである、ということもあると思います。

同じものが、ある子どもにとっては障壁になり、別の子どもにとっては学びになるという、背反状態もあるのではないか、と、その考え方や実際の対応で、対処・判断の仕方があれば、お話うかがいたいです。

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今日はありがとうございました。

「DoよりBe」はわたくしもよく考えてことです。

さて、ご質問の件ですが、「『〇〇のひみつ』のような比喩的な表現、教室環境の装飾は楽しいよいもの」というお話、わたくしもそのとおりだと思います。

とてもよく分かります。

結論としては、クラスの子どもたちの状態に合わせていただければいいのではないのではないかと思います。

「〇〇のひみつ」とした後にバリアが生まれたなら、めあてを焦点化してくださればよいと思いますし、装飾も目的を達成できるのであれば、派手派手にしてもイイと思います。

実際にアメリカのUDLの授業では、そこにこだわっていませんし。必要以外の時には外せばいいのだと思います。

100か0かでではなくて、子どもに合わせて20とか50とか70とかのUDもあるのではないでしょうか。

このジレンマはあらゆるところに出現すると思います。

「子どもたちの学び合いの時間を増やせば、知識?技能の指導の時間がなくなる。」というような。。。

それは、やはり、目の前の子供の顔を見て声を聞きながら実態に合わせてというところでしょうか。

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それでは、また。

今日もありがとうございました。

*このVはかなり勉強になりました。

「たった一度の人生を変える勉強をしよう~藤原和博氏」

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