櫻田武です。
2017年の記事ですが、ファンである宮台先生のコラムをシェアします。
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<若者の思考レベルが"劣化"している>
先輩から「理不尽なマナー」を強要されたとき、どうすればいいか。
社会学者の宮台真司さんは「『何の意味があるのか』などとマナーやルールの合理性を問う者は、思考レベルが低い」という。
そして「そうした『劣化』した若者が増えている」と苦言を呈する。どういうことなのか――。
<31歳より若い世代は絶望的に「劣化」した>
私は「1986年分水嶺説」を唱えている。
「86年生まれ」と、それ以下の「86年以降生まれ」には、実は大きな違いがある。
「86年以前世代」は、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件、援助交際ブームなどを経験しており、「社会は5~7年ごとにガラリと変わる」という感覚を持つ。
他方「86年以降世代」は「社会はこのままずっと続く」という感覚を持つ。
彼らが思春期を迎える97年頃から、日本社会は「平成不況」が深刻化、以降の変化が乏しくなった。
だから「どうせ何も変わらないのであれば、周りに合わせるしかない」という構えになりやすい。
世代はクリアカットに区切れないので、同じ傾向が30代前半から見られる。
いずれにせよ先行世代は、若者の「劣化」を認識したほうがいい。
具体的に説明しよう。
なぜ性体験のない若者が増えたか
「86年以降世代」は、物心がついたときからネットのコミュニケーションに依存する。
だから、蔭で悪口を書き込まれるのを怖がり、「他人にどう思われるか」を気にする。
「仲間外れ」を恐れ、異性との恋愛より同性との付き合いを優先する。
不安が勝つので、恋愛も同性仲間との付き合いも、上辺だけになりやすい。
絵文字やスタンプの普及がこれを加速させる。
大学生のSNSをみてみると、どれも似たような絵文字やスタンプの送り合いだ。
彼氏や彼女を別人に入れ換えてもやりとりは成立するだろうし、入れ換えたことさえ気付かないだろう。
だから、どんな異性と付き合っても所詮は相手が交換可能だという感覚が拡がっていて、それが恋愛に乗り出す動機づけを削いでいる。
実際、性体験のない若者が増えた。
出生動向基本調査をみると、20~24歳の男性で「性体験のない未婚者の割合」は47.0%(2015年)。
10年前の33.6%(05年)に比べて13.4ポイントも上昇している。
この傾向は女性も同じだ。私の定点観測でも、男子学生は05年頃から、女子学生は10年頃から飲み会でシモネタを避けるようになった。
<他者に対して想像力を働かせられない>
社会学には「主体性」の概念がある。
人間の「意識」は3000年ほど前に「文字」の普及によって生まれた。
それ以前も「言葉」はあったが、歌や踊りとともにあり、ダイレクトに感染を引き起こす道具だった。
文字が普及すると、ダイレクトな反応に代わって、自分の反応に対する自分の反応に対する自分の……といった反応の再帰性(折り返し)が生じるようになる。
これが「意識」だ。
たんに怒ったり悲しんだりするのではなく、怒っている自分を見て悲しんだり、悲しんでいる自分を見て怒ったり。
そのぶん具体的反応を相手に返すまでに遅れが生じ、再帰性の高次化に伴う個性が「主体性」を与え、抽象的思考が可能になる。
絵文字やスタンプを使った即時のやりとりは、「主体性」を抹消した「自動機械」を生む。
個性はなく入れ替え可能だ。
むしろコミュニケーションに遅れが生じると「意識」や「主体性」の働きを目ざとく見つけられて叩かれる。
それを恐れるから「意識」を禁圧、「自動機械」に埋没したがる。
その結果、昨今の若い世代は、文脈を分析して「他者に対して想像力を働かせる」ことができなくなった。
<先行世代のやり方は「暗記」してしまえ>
2つ例を挙げる。
私は大学でゼミナールを開講している。
あるとき高熱が出て、保健センターから、インフルエンザの恐れがあるので授業を休止しろと言われた。
偶然通りかかったゼミ生にインフルエンザで休講すると伝えて帰宅した。
当然メーリングリストでほかのゼミ生に伝えてくれると思ったら、ゼミ生らから僕を長時間待っていると連絡がきた。
後日、尋ねたら、その彼は「伝えろと言われなかったので…」と返答した。Oops!!
ある夏、講義のために教室に入った。
冷房装置の故障で酷く暑かったので、100人を超える学生らに「窓を開けろ!」と叫んだ。
授業後、最前列の学生らに「なぜ開けなかったの?」と尋ねたら、「誰も開けようとしないのに自分がやるのはどうかと……」と返された。
「暑いから開けようよ」と周囲に呼びかけて開ければいいだけなのに、意味不明。
KYかも、周囲から浮くかも、と不安がるあまり、自分にも周囲にも不利益が生じても、まともに行動できないのだ。Oops!!
この種の逸話には事欠かない。
私は30年近く、講義の試験を「自分で問題を作って自分で答える」という形式で一貫してきた。
答案は原稿用紙4枚分。
その答案のレベルが年を追うごとに下がってきた。
80年代に「詰め込み教育」が批判され、90年代以降は「自分で考える力」の養成が目指された。
だが皮肉にも以前のほうが「自分で考える力」があった。
なぜか。
かつての教育は暗記全盛だった。
追いつき追い越せの後発近代化国だったからだ。
帝国大学出身の父も論語やルター訳聖書を諳んじていた。
私もそうした教育を受けた。
麻布中学に入るや「数学は暗記物、お前らが考えるなんて10年早い」と教員に怒鳴られた。
暗記で引き出しを増やさなければ思考しても意味がないという考え方を叩き込まれた。
学問の基本は武道や演奏と同じだ。
基本動作を反復訓練して「自動機械」のように動けるようにする。
そこに意識を使わなくなる分、意識に新しい役割が与えられる。
「自動機械」化した自分から幽体離脱し、自分に寄り添って観察する。
これを「意識の抽象度の上昇」という。
昨今の若者は「何の意味があるのか」と合理性を問い、合理性がないことをしない。
確かに企業内には不合理にみえることが多数ある。
だが企業人の初心者が逐一合理性の有無を問うても無駄。
合理性を問う前に、先行世代のマナーやルールを自動機械のように振る舞えるくらい身につけたほうがいい。
思考する価値のある問題に注力するのはそれからだ。
自分はできもしないのにマナーやルールの合理性を問う者は、思考レベルが低い。
抽象度を上げた意識から見れば、「合理的なものが非合理で、非合理なものが合理的だ」という逆説はザラだ。
若者が合理性を問うてきたら、そうした世の摂理を開陳すればいい。
先行世代自身も自分を見直す機会になる。
合理性は高い抽象度で判断するべきものだ。
宮台真司さんに学ぶ「30代の心がけ」3カ条
1. 「仲間はずれ」を恐れてはいけない
主体的な行動をとって、「他人の目線」から自由になれ。
2. 他者に対して想像力を働かせろ
「指示待ち人間」を脱して、みずから問題提起をしろ。
3. 必要なことはまるごと「暗記」しろ
暗記しておくことで、はじめて思考する余裕ができる。
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宮台真司●1959年生まれ。首都大学東京 教授。東京大学文学部卒。東京大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。社会学博士。著書に『終わりなき日常を生きろ』『日本の難点』『正義から享楽へ』など多数。
それでは、また。
今日もありがとうございました。
<櫻田の推しBook>
「差別のない社会をつくるインクルーシブ教育」誰のことばにも同じだけ価値がある
/ 野口晃菜・喜多一馬
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